やけくそになる時はある。その瞬間はいつでも隣にいる。
自分を大事にできないとき、なにもかも嫌になったとき私の目の前には死が浮かんだ。
何度も何度も生きていた中でこの目の前の死は魅力的だ。
死の直前は苦しいだろうが、その先は楽だもの。楽したいもの。
なぜそれを選ばないか知っている。あの時は親より先に死んではいけないということが頭の中で縛られたし、いまは憎い相手の死に顔を見なければ気が済まないからだ。
答えは変化して一律ではない。
今度、どうでもなんでもいいやとなったときの答えはどんなのだろう。
きっと私の中に答えはある。その瞬間でないとでてこないがそれまでは楽しむことにする。
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