「差別や侮蔑は人間がいる限り無くならない」というのが私の持論だ。
直情的な私はそういう話を見聞きするだけで怒りが湧きあがる。
結局はそうするのか、そうするやり方しかしないのかと感じる。
その安い挑発はどの年代も限度なく行う。それが当たり前に行ってきたこの国の歴史だというように大ぴらに行う。
この国は従業員、特に社員を解雇できない代わりに自主退職に追い込むことがことが初期設定がされている。
この国は被害者より加害者、いじめる人間を護るように守るように脳の仕組みが出来上がっている。
これを善しとし着いていくその下も人間も、何を思ってその人についていくのか理解できない。
こう言えるのは「立場がない」「肩書がない」「守るものがない」からだとも言えるだろう。
今はいつでも「逃げだせる」気軽な立場だ。
無責任なのである。
むしろこの国の政治家や犯罪があった市区町村や学校の講師教師でさえ保身のために「責任逃れ」ばかりしているのだから私など些末なものだ。
だがそういった立場の人間こそ「自分より下の者」に責任対処させるのだ。
そうやって過去に何人もの自殺者が出ている。私の身近にもいる。
脈々と受け継がれた考え方を平気で次世代へと「見せる」行為は「恐怖政治」そのものだ。
「俺の言うことを聞かなければこうなる」を暗に匂わせるどころか堂々とやってのけるのだ。
発言や行動に問題がある人間は注目され一瞬で表舞台からいなくなる時代だ。
だがそういう人が「反省」しているかと言えばそうではないだろう。
大体の人がそういう連中とつるんで笑いながら「ミスっちまった」と酒を飲んで部下に八つ当たりもして次の日には忘れて何事もなかったようにまた行動する輩が多いことだ。
そうしてそういう行為はなくならない。先例、前例がいくらあってもなくならない。たとえ裁判で裁かれたとしても繰り返す。
それが人間だ。
私はそういう次元に身を置いていることを日々感じさせられ一日を生きていることに何度も気が付く。
そういうのは「ごく一部」だろうが、安い腐ったお家芸を披露し自信満々に生きている輩に対しての対処方法は「それ以上の存在になる」こと以外ないと感じる。
今の私にできることはないが、一人でもその考えや思想に染まることなく声を上げて生きたいと思う。
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