私は「父」が嫌いだ。
幼いころから私の「絵」を否定し馬鹿にしてきたからだ。
多趣味な「父」も絵を描く人間だ。
ただ「見ている方向」が違うだけでこんなにも馬鹿にされるものなのか。否定されるものなのか。
そんなの「ゆがむ」に決まっているだろうに。
中学時代は自分で選べる美術系の部活に入ったが、やはり担当の先生には馬鹿にされた。
高校時代も描きたいものを描きたくて入部したが、やはり担当の先生には否定された。
当時は「写実的」なものや「優しい風景」が「正義」なのだ。
美術の基礎はそこにあったかもしれないが、私が学んだのはやはり「人から否定」されることだけだった。
当時も今もその当時、否定された「意味」は分からない。
その裏を読めば「絵画の基礎」を教えたかったんだろうが未発達な頭にそれを理解しろというのが無理難題ではないだろうか。
言葉でも態度でも示せなかった「大人」は今でも名前を憶えているくらいだから私の「嫌な思い出」としか残っていない。
話がそれた。こう書いていると「絵を否定された」記憶が連なるのだ。
父は「漫画とアニメは馬鹿が見るもの」と言いながら宮崎駿ジブリ映画とディズニーアニメ映画は別だったようで、一番下の妹がみるアニメはそればかりをレンタルビデオ店から借りてきていた。
私もジブリ作品は好んで見たが夢中になるほどではない。
もうその時には「私の絵の方向性」は決まっていたし「夢」として上京することも決めていたように思える。
「漫画家になりたい」
父に自分の「夢」を話さず上京を決め埼玉の工場に就職した。
なぜなら「否定」されると思ったからだ。
今でも父は思い出したように言う。「お前は勝手に就職を決めた」
そしてその後、俺は可哀想な人間だ。子供に裏切られた悲劇の人だのような雰囲気を作り出す。
私はまたこれからその「父親劇場」を見ながら過ごせる。
そんなに芝居がお好きなら、私はその行動を「お金」に変えてやろうと決心している。
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