世間が求めるもの

自己中心的で自由な一言

私は大まかに単純に思うことは「救い」だと感じている。

言葉が上手く表現できないが、人は何かにすがって生きていくのが自然で「そうじゃない」と自分の中で思っていてもいずれ気が付くものだと思っている。

私の「救い」は「私自身の行動を信じること」に今は収まっているが当然「はため」かたみたら迷惑だと思っている部分もあるかもしれない。

だがそれが「私を客観視」しているに過ぎなくその中心はあくまでも「私」

他人に物にすがるのはその人の自由だ。

だが私は「自分自身の手足で何かを成し得たい」という欲望願望が昔は前面に強くでて大いにある人間だったので、その名残なんだと思う。

それを今「元通り」にする作業を毎日行っている。

すべてじゃなくても「取り戻したい」と感じている。

そんな自己中で生きているものだから私は「世間が求めるもの」に関してはとんと無関心だ。

今世界は何を求めているか。

そんな壮大な舞台で考えることは若いときに終わった。

今世間は何を求めているか。

それはおおざっぱには分かる。

その個々の中の世界ではどうだろうか。

それは九割以上の日本人がきっと思っていることだ。

決めつけているが「行動で示さない」限り大方の人間はついてこない。

だって大方の人間は「他力本願」なのだもの。

私もその一部になることだってあるんだもの。

小さなことからしか始められないが、私は私の出来ることをする。

何度でも何度でも同じことを記していく。

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