死に方を「選びたい」

自己中心的で自由な一言

動画をザッピングしていてなかなか良い「選択肢」を提案する人がいた。

私はその言葉に納得した。

何度か「ものの言い方」不適切な発言で炎上している方だったが、私はその人のすべてを否定する気にはなれないし、世の中のこうやって批判される部分がある人たちは世の中の不満のターゲットになっていると思っている。

なぜなら言葉にして口に出さずとも少なからず私も思っていることだからだ。

世の中「きれいごと」を必要としているが、そんなことを話しながら裏では度を越えた「人外の行動」をしている妖怪悪魔連中はいくらでもいる。

死に方を「選びたい」

確かにそうだ。

私の中でいつまでも「老人は悪」という考えがある限り、私は私自身の望む形で人生を終わりたいと心のどこかで切に願っている。

「親より先に死ぬな」「兄姉より先に死ぬな」そんな「しがらみ」私の幼いころからの土壌にあるのであの時「死ななかった」ことも確かにある。

私は「自殺志願者」を止めることは出来ないと常々思っているのは「その後」の人生に指針を示してやることは出来ないし責任を持てないからだ。

声を掛けて話を聞いてやることぐらい。

それで救われる人もいるだろうが「死」をぎりぎりまでお詰められた人間に何が出来るだろうか。

なぜなら私もそんな一人だったから。

「死に方を選べる」時代には簡単にはできないだろうが、また一つの目標が出来たと感じる。

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