あの時を思う

「血のつながり」という妨害者

ふるさとは遠きにありて思うもの。

父に関わる時間は他の血のつながった「家族」とも関わる時間でもあった。

人生に換算すれば短い期間だったのに「なぜあんなにイライラして攻撃的になったのか」と思えるのは「時間」が経ち「過去の話」になりつつあるからだ。

まだまだ処分を下すには時間はかかるが今はだいぶ落ち着いている。

「なかったことにしたい」と思っていても「実父」が残していった兄弟姉妹間の「傷」は簡単にいやせるものではないのだと私は思う。

他の人たちはどう思っているかなんてわからないが少なくてもそう思う。

あの時「父」がかかわったことで兄弟姉妹は「お互い」を傷つけあった。

傷では済まさない。あれは「殺し合い」だ。

介護は人殺し。

私は少なくともそう思う。

介護に関わっているすべての人がそうではないことぐらいは知っているが少なくても私たちの間は殺伐として気持ちの良いもではない。

もちろん争いを好まない者もいたが関わるものすべてを「殺人者」に成ってもおかしくないほど感情的にもなっていた。

「修復」は好まない。自ら動くものでもない。

信用を回復するために動くなんてバカバカしいと思うのはすでに私自身に「信用していない」と言われているからだ。

それで良いじゃないか。

残ったものを周りにいるものを大事にするだけだ。これからの「私」を大事にするだけだ。

私だってこれから老後になり人様に迷惑をかける存在になる。

ボケで自分自身の存在が解らなくなって徘徊し始める。

ここだけは「不安」なるのは仕方がないことで「死」に前向きになる。

兄弟姉妹のあの死闘に綺麗ごとを求めるのなんて愚の骨頂。

最高に馬鹿な事をしたいと思うところはそこではない。

返って「しがらみ」が無くなってすっきりしているのだよ。

私は昔から淡白で非情だ。

「家族」なんてものに大きく依存していない。それは気が付いていないだけでと思うが自ら「家族」を作っていないことで一つの証明になるのではないのかな。

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