「立派」な人間になりたい

自己中心的で自由な一言

なんだろうね。「立派」な人間とは何だろうな。

聖人君子のように誰からも好かれてとか昔から言われるような定型文に納まったような人か。

それは真実か。

そりゃ私だって「世の中のイメージを変えるような人間になりたい」と若いころは豪語してたさ。

「若さ」というのは目を曇らせるどころか盲目になり他人の食い物になるなんて思わなかったからね。

世の中には「若く」ても堅実に顕著に生きている人間もいる。

大学までいって学ぶ場所を自ら選んで卒業しても「世間知らず」は後を絶たない。

人間は「狐とタヌキの化かしあい」どころか「騙し騙されの打ち合い合戦だ」なんて誰が教えてくれたのか。

注意しても警告しても「わたしは大丈夫」なんて根拠もない自信が「若さ」には溢れるときもあるんだ。

結局は煮え湯と泥水をすすって経験してから気が付く。

何度もいうが「そんな人ばかりでない」ことも知っているよ。

だがどうだろうね。この時代。

「人助け」をすればすぐさま「犯罪者」呼ばわり。

犯罪者が羊の皮をかぶってこういうイメージを積み重ねてきたんだよ。

犯罪者に甘いこの国の結果が今の人々をもっと生きにくくしている面が大いにある。

今でさえこの始末なのにこれからを変えていくなんて無理だと思うだろう。

でもね。私、諦めない。

私、もう諦めない。

昔からこうやって身近なところで自身の正義を振るっていじめにあってきた。

いじめにあっているやつを助けていじめられる。助け求めているやつを助けたら暴力を振るわれるなんてことは違うじゃん。

大人になって「正論」は人を傷つけるなんて知ったが「人助け」をしていじめられて「お前も悪い」「ケンカ両成敗」も狂った思考だ。

この国は終わったなんて思っている部分もあるが、終わらせたくはない。

私は「日本に生まれて良かった」と最後までやはり思いたいのだよ。

私には土壌を耕す力を持っていないかもしれないが、未来に少しでも希望の種を撒いていきたい。

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