昨日の敵は一生涯の敵、所詮他人同士なのだから分かり合えない

長文

人との付き合い方が上手な人がいる。

それは敵を作らない人だ。私の人生で関わった人の中に何人かいる。

ひとつあげれば、そば屋でアルバイトをしていたころの年下の女性店長だ。

なんでもハイハイいう人ではなく仕事ができ、きっちりと締めるときは締めた。男女かまわず人が集まった。

だが私はアルバイトという立場でその会社の真意などわからない。その女性店長は一年で心身を壊し、一か月ほど休業してほどなくして故郷へと帰った。

敵はやはり身近にいて、人を壊してしまうのだ。

私は幼いころから友達を作るのが苦手だった。時間をかけて仲良くなるのが常だった。

人との距離の詰め方がすぐにできる子ではなかったし今でもそうだ。

人間同士が仲良くなるきっかけは何なのだろう。

趣味や嗜好が同じだったりするだけだろうか。様様なノウハウが出ていてそれを実践している人もいるだろうが、実際はそう簡単にはいかない。

人との距離をすぐ近づけられる人がいる。それは生まれ持った才能だと感じる。

今も昔も「みんな仲良く」が根付いた社会は私にとっては生き苦しい。

私はここ最近は開き直りで生きている。

嫌いなものは嫌いです。卑怯な人間と付き合うと自分もくだらない人間になってしまう。運気も下がりそうだ。

それを我慢して付き合いを続けていくこと選ぶなら、不道徳な人間にそのグループに無視されて生きていくことを決めた。

あんな犯罪者じみた顔を張り付けた生き方などしたくはないと思っている。歳をとれはそれがはっきりと表れていてあんな顔で棺桶に入るのかとぞっとする。

むしろあんな顔で良く生きてられるなと思うほど醜悪になる。

私はやはり性格が悪い。そういうのが見ていて楽しい。私もそうなるのだと分かってはいるがやめられない。

他人の不幸は嫌いな他人はやはり、美味しい美味しい何物にも代えがたい最上級の蜜のかかったその時にしか味わえない甘味なのだ。

ひょうひょうと生きられるならそうしたい。本当の芯からの強さが持てるならそうして生きていることだろう。敵などいない世界はきっと見つけられるだろう。

ちょうどよい距離感を保てる人もいるだろう。

しかし私は私だ。

身内でさえも敵や毒になる時があるのだから、切り捨てることができるのならする。

自分を守ることが大事だ。そして守ることとは攻撃でもあることもわかったからその時はやるだけだ。

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