60歳で死にたい。長寿を祝う風習は恐怖である。

長文

ピンピンコロリを望んでいても実際のほとんどは寝たきりや痴呆になって長生きする。

元気な90歳とかたまには見るが、人間の体の活動限界などせいぜい60歳だと思っている。

若い時からの病気はともかく、40歳ぐらいから目がかすみ体のあちこちに痛みが出て膝や関節が故障し始めたり、記憶があれこれそれに変わったりする。

年金を払っていても貰える年齢は上がった。要は支払いたくないからその年齢まで働けということだ。

80歳になってまで働いている人を見ると本当にぞっとする。

生きてるだけで税金が持っていかれ、余裕がある暮らしをしてる人などほんの一握り。

妬んでも仕方がないことだが結局は金がないと、若い時稼ぐ基盤をしっかりしてないから歳をとってまで働くこととなる。

60歳になったら死の選択を選べるようになってほしい。

他力本願のしょうもない自分の考えだ。

自殺はあの頃、勢いでしておけばよかったと何度も思う時がある。

自殺はパワーがいるのだ。愛はなくても勇気はいる。

それでもやはり自分は自殺をしなかった。結局は生きていたかったのだろう。

生きていて楽しいこともあったが苦しいことの方が記憶に強くある。何度も助けを求めても本当に心から救われたことなどなかった。一時的なものなのだ。

だからこそこれだけ生きて苦しんだのだから、60歳で楽に死ぬ選択をさせてほしい。

ここまで生きたのだから世の中のどうしようもなく苦しい自死に方ではなく、薬で安楽死という自殺を選ばせてもらいたい。

長生きなど私にとっては悪だ。

そして老後のことを考える。自殺はきっとできない。なら老後してみたいこと、60歳になったらやってみたいことをリストにする。

それまでにやってみたいことも同時進行だ。もう簡単に手が届くお年頃なのだ。

グズグズしている暇はない。夢を語っている場合ではない。いま自分が出せるお金の範囲で、やってみたいことに片っ端らから手を付けてみている。

続かなければ一旦置く。もう手が伸びなければ捨てる。やりたくなったらまたやる。

正直無駄なのはわかっている。けれどもう暇つぶしになんでもやりたいことをやるだけだ。

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