何もかも中途半端な私が言えることは、生きることだけで精一杯だ

長文

私は何も成してはいない。

夢もあったが叶うことなく、希望もあったが実現するわけではなく生きている。

今は月数万の手取りで一人で暮らしている。

見栄を張って生きてきたせいもあるが、そこそこやることはやってきたのでこの生活に満足している。

人間関係は相変わらずのごたごた続きでどこに行っても変わらない低俗な民族がいることが冷静に見れる状況に驚いている。

穏やかで平凡といわれる時間がある。

だややはり日々何かしらと中途半端な自分はどこかしら満足がいかなくてもやもやしているのだ。

このまま分をわきまえた生活しているのが良い。そう思う反面、自分にはまだ何か成せるという思い上がりが大きくある。

また失敗する。どうせ失敗する。同じことの繰り返しだ。

それでもやってみたい。挑戦したい。勝負をしてみたい。

その間を、ふらふらしている。本当に欲が深くて困る。

そしてこれこそが「人間」なのだと窓から見える海を眺めながら両手を大きく広げ笑う。

他人から見れば完全に頭がいっちゃってるまともではないのだが、それでも私はわたしが思う「人間」をやめられれない。

正気をそこそこ保ててる自分はまだいいとさえ感じているので、そこは他人などお構いなしだ。

マンガの一言を借りれば、シラフで渡れる世の中かと、まともな人間など一人としていないのが持論の私には強く突き刺さる。

経済的には私は裕福の部類ではない。

今は毎月いくらかの貯金をし通帳をながめ気持ち悪く笑い、洋服もできれば長く着れるような飽きの来ない小ぎれいなデザインを選び、食事もできるだけ安くて今は本当に美味しい社員食堂で食べお弁当にしてもらう。

これをできるだけで私にとっては大進歩だ。

そして今生きていくだけで本当は精一杯なのだ。地に足をつけ目の前の仕事を片付け、大それたことをせず慎ましく生きるのが一番だと気が付く。

私にとって生きるということは本当に苦痛だ。

ふと難しく考えすぎて谷底に落ちる気分になる。

そして這い上がり方もそれなりに知っているから、履きなれた登山靴でロープを伝い這い上がってくる。

生きることは吐き気がするほどうっとおしくて今でもすがり付いている。

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