「自分教」という考え

「自分教」入信のすすめ

距離を置く

調べれば私より先に「自分教」の信仰者はいます。

その方々がどうやって「自分教」にたどり着き信仰を続けていけてるのかは分かりません。

その人にしかたどり着けない信仰なのです。

こうやって宗教用語なようなものを並べていますが、そういった言葉を並べる人間には近づかない方が良いです。

大事なことなのでもう一度書きます「宗教用語を使うやつには近づくな」

そうです、私に近づいたダメなのです。ここで一つ覚えてもらえれば幸いです。

すでに「自分教」などと自分を神か教祖のように褒めたたえている人間など危険思想をたっぷり持った要注意人物そのもので笑われて見下されたりする。

洒落や冗談がわからない人たちから批判や難癖つけられて心が折れてしまいます。

実際私は神の存在など信じておりません。これについては別の機会にでもまた改めて書きたいと思っています。

私の自分を信じる「自分教」は、まずはじめの一歩は「自分を客観的に一歩引いてみる」ことから始まります。

なぜ私は世間や啓発本の言うような自分を信じることが出来なくて「自分教」を立ち上げ崇拝したのか。

人間は弱くなったら何かにすがりたい生き物だからだ。

人でも物でも、そして巨大で強大な集団の中に居ればという「安心感」が遺伝子レベルで組み込まれているなと感じた。

集団の中でも「私は私の生きたいように生きる」ためのひとつの考えなのです。

追いつめられても自分のことは自分で救える人間になるための信仰です。

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