ありかなしかではなく居場所
「自分教」の自分の居場所は「自分で作る」ことです。
以前にも少し触れましたが「集団の中にお金を払って作る」ことではなく「自分自身で作る」ことです。
他人の用意した椅子に座るのではなく、自分が作った椅子に座ることです。
人は誰でも他人に認めてもらいたい承認欲求の高い生き物です。感情を持ったからにはそうなるのも当たり前だと思っています。
SNSでイイネを欲しがったりするのはそうではないでしょうか。
ごくまれに「そうでもない」人もいますが、それは他人のことなのでどうでもよいです。
強引な物言いをすれば「欲しいなら自分で手に入れる」ことです。
今どきの考えではないでしょうし時代にもあっていないかも知れません。
それを欲しさにかなりの暴力を使う人は元から多いですが情報過多の時代なので目立ってきました。
そんな中で自分を見失うことなく自分を維持できるのは自分だけなのです。
私の場合はインターネット上に「自分の居場所」を自分で作ることで自分の何かが解放されたようでした。
今はまだどのように表現したらわからないまま進めていますが、それでもこの継続は自分を変えてくれた一歩です。
確かに細かく言えば「サーバーを借りてお金を支払って場所を作ってもらっている」でしょうし「自分で作った椅子を置かせてもらう場所」なのでしょうが私にはそういう知識がないので「利用」しているだけなのです。
「自分教」は「自分の居場所を自分で創生する」つまりは大地を作りだし「好きなこと」のタネを埋めて育てて枯らしても良いから、またそれを肥料にしていく場所なのです。
その後いい加減に適当でも大地さえしっかりしていれば、なんとかなるものです。
コメント