「自分教」の結界

「自分教」入信のすすめ

競わなくて良い「陣地取りゲーム」

よく聞く「自分の居場所がない」というのは「周囲から存在を認識してもらえてない」から起こる気持ちでしょう。

他人に自分の存在を預けることで起こる現象だと思われます。

かつては私もそうだったように、また今でもそういう気持ちがどこかしらあるように「自分の居場所」はどこかしらに他人に預けているのだと感じます。

それでもその気持ちは今は潜めているだけなのかもしれませんが「私が今ここにいる場所は、私の居場所だ」と少しだけ強く思うことで改善の道筋がみえるでしょう。

「自分の居場所はどこにでもある」のです。

だがどうしても物事は悲観的にとらえるほうが楽で当たり前なのです。

それは自分自身の大事な「逃げ道」のひとつですし、そうした方が道が開ける場合だってあります。

それは私も否定はしません。

例えば他人の機嫌が悪い時「私何かしたのかしら」という考えでいると心が萎縮してしまい何もできなくなることが多いですね。

「いちいちこんなことで嫌な気分まき散らすな、ゴミが」と相手に対して思っていれば心の持ちようが違うように「自分の考え方次第」なのです。

「自分教」は自分を主軸に持っていく宗教です。

「自分のいる場所は自分で決める」自分で決めることによって「自分教」の結界は自分で思うことで強くそこに存在することになるのです。

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