私も世間も騒ぎ過ぎ

自己中心的で自由な一言

私は私であるうちに「死にたい」と常日頃おもっている。

これまで頑張って生きてきたのだから、長生きなんかしたくはないと思っている自分もいる。

全員に強制しなくても良いが自分でもうこれ以上できないと思ったら「選ばせて欲しい」と切に思う。

話題に上がっている言葉の使い方は度を越して確かに良くはない。立場もある人間がそれが批判されるのは当然だとも思っているしたとえ立場が無くても「良い言葉」ではない。

良い言葉ではないと解っていても私にもそんな節があることは確かだ。

そしてただ大人だから口に出していないだけで、そう思っている人たちはいるのではないか。

ぶっちゃけてしまった人に批難が集まっているのを見て自分に矛先が向かないだけで安心しているのではないかと感じる。

相手の立場が違えばその対象になっているのではないのか。

現にこの国の政治家という年寄りが中心とした集団の仕切り屋には腹をたて暴力的な「死」の言葉を吐くではないか。

そういうのが良くてそれがダメとは矛盾している。

別に変な信仰してると思われても仕方がないが、すべての人間は粛清の対象に当てはまるのではと大掛かりな脳みそ構造になって見失ってきた。

これも私の「言葉や口にしてはいけない残してはいけない」ものなのだろう。

しかし身近で嫌いな年寄りにはそうして欲しいと思っている私がいるもの。

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