「和解」という危うい線引き

自己中心的で自由な一言

私自身、捕まっていないだけで気が付かない軽犯罪は軽く臆は越えているのだろう。

「人間は生まれながらにして罪深い」というし「生きているだけで犯罪予備軍」みたいなものだと自分は思う。

私は裁判傍聴の趣味はないが世の中に多々ある裁判の中で「和解」というものがある。

私には「お互い悪いのだから両成敗」みたいな意味に見えて謎である。

特に死人が出ている裁判に関してどういうことでそうなるのか。

子供の喧嘩にしても「度を越したもの」は数々あるし「いじめ」はやっと「犯罪」だというのが浸透しているがまだまだ一部だけに過ぎない。

力のあるものの「圧力」で無かったことにするのは昔からある手法だから軽薄で軽率な私は勘ぐる。

そして思う「この人たちは裁判にきちんとして法的に戦ったのだ」

戦えなかった私に外野の私がとやかく言うことではないのかと。

他人のために怒れる自分があるくせに、自分の為に怒れない自分があった。

人様が戦った結果「和解」はどんな思いのもとでそうなったか知らないが私にとっても危険な刃となって襲うことを知った。

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