「命を大事に」「命は尊い」には決まっている選択肢

ほとんど毎日

「死は誰にでもくる」のもと従順で、いくつもの答えをあらかじめ出している。

「それ以外」に対しての対処方法とか心の在り方は私は決めている。

目の前に自殺しようとする人間を止めその人の「命」を抱え支えられるようなお金も慈愛は持ち合わせていない。

目の前で不慮の事故があった時は自分の出来る「手助け」は出来るが、大惨事の場合は「心に傷」を負い一生の痛手になる場合もある。

意識の「たが」が外れその場で笑ってしまうし、しばらくは寝れないしご飯も食べられなくなるよ。

匿名なら何でもいって良いような風潮から生まれる誹謗中傷で個人を集中攻撃し追い込むようなことは、有りか無しか。その人と会ったことないし話したことはないがそれに至った「経緯」と「とりまく背景」と「人柄」で」判断。

嫌いな人間が目の前で死にそうになっている。死ねば良い。

私は歳を取って自分が自分でなくなるような痴呆になるくらいなら死にたい、自殺したいと常々考えている。

「我を見失った暴力的な老人」が生き続けるのが、許せないからだ。

私の命だ。好きに決める。

世に生にだらだらしがみつくより、潔く死にたいのだ。

そこ重いも軽いもない。後悔や無念があろうとも精一杯生きた私には「死」に憧れを持ち生きている。

そして反吐が出る不快な犯罪なくせに軽い罰則で終わらせるような世の中に苛立ちを覚えながら自分で何もできない私は「死罪」で良い。

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