「改善」して健全を目指すことはない

「血のつながり」という妨害者

「無意味」にケンカ腰でくる妹に対しては「怒り」はあるが、そのストレスが今のところ私にとっては悪くも良くも働いているので「自分のペース」を崩さないことだけを一点に置いている。

この関係に「完璧な関係」を求めてしまっては私の心はその他に対して建設的に動かないので、ネタとして今のところ消化していこうとしか考えていない。

「絆」なんて甘っちょろいものは「中高年の姉妹のクソみたいな喧嘩」に必要はないのだ。

好きなだけ敵対心を持ち不細工で見苦しい醜態をお互いさらけ出していけば良い。

見せられる方は堪ったものではないが、すべての元凶は「父」にあるわけだし「父」は崩れた関係の姉妹を憂いながら死んでいけばいい。

そうすることで私の気持ちが晴れやかになるのなら、なんの問題ない。

自分本位で考えることが第一優先事項なら、なおさら猛き狂った闘争心丸出しの病的な人間を見る良い機会だと感じる。

身近でこんなことになるとは思わなかったが、なかなか経験できることでもないので楽しむほかに何があるのだろう。

毎日が「ケンカ祭り」を開催しているのだと思えば「山車」の準備も楽しみだ。

より自分らしい「山車」を作るには「狂気」をまとい自分を守ることに徹しながらも冷静な判断力を見失わないことだ。

そんな理屈は分かっていてもとっさに判断して行動できるわけがないから、まあ「なるようにしかならない」

「戦争は反対」であるが、この家族間の諍い争いでさえこれだけこじれるのだから国同士が仲良くなるわけないな。

「父」の死はこの重荷から解放される瞬間でもあるから、それを間近で見れる私はきっと一番幸せになれる。

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