「幻」が目の前の真実

「血のつながり」という妨害者

「自分が経験したことがすべてだ」とは言わないが「基準」にするのはごく自然の行いである。

目の前で繰り広げられているのは自分も含め兄弟姉妹が「たった一人」のために奮闘していることである。

奮闘し兄弟姉妹間に亀裂が入り大喧嘩。みっともない罵りあい。馬鹿がやる無駄な行動を繰り返してきた。

以前は「父」にも頭に来るからこういうことになっているとつらつらと恨みごとのようにラインを通じて送っていたが、この件で「父擁護派」の妹と何度もぶつかり我慢してきた。

「父」はこんなことも知らないでのほほんと生きていると思っていたら腹が立っていたが、謝ってきた。

私は驚き動揺した。

だが立て直す。

ここで「情」など出したら立ち行かないのではなく、きっと私がしてきた「悪意に満ちた」行動がすべて自分自身で「否定」することになる。

「父」のことに関しては口は悪いが「なにくそ根性くそったれ」でやってきた。

たった一言でブレるとは、私もざまあない。無様だ。

その一言があれば兄と兄嫁さんと仲良までとはいかないが同居は解消に向かわなかったのではないか。

なぜ私に今更ながら謝ってきたのか。

やはり悔しくてたまらない。「父」とはやはり分かり合えないし合いなれない。

それで良いと思っている。

この人に期待するのは止めたはずだが、まだ「怒り」があるのはそうではないという意味もあるのか。

そこに「愛」はなくただ腐っていく「自分」を見ていくことになるが、それは私が選択した。

どれだけ不細工になっても意地になっても貫き通す。

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