「自信」への自動接続

ほとんど毎日

ここ数年は「意識」して行動し「はったり」虚勢を追加することによって大きく自分を変化させたと感じる。

何度もへこんで「死んでしまおうかな」とも、やはり思った。

毎日「心」のどこかにその気持ちを置いていると、それが自分の素直な気持ちであることが認識でき精神的不安定なことがあってもすぐに立て直せた。

「死にたい」気持ちを拒絶しているよりも病的に執着した方が温かい目で自分を見ていられる。

移住してくる前の「死にたい」と今の「死にたい」は明確ではないが違う。

者と物の見方、変化が感じられだいぶ穏やかに彩られた「死にたい」になってきている。

それは「明日への希望がある死」とでも言うのだろうか。

表現はどうしたらよいか今は分からないが「ウツウツと過ごして暗く生きて希望もないから死にたい」が「どうせ死ぬならやりたい事やっちゃいなよ」とう感じ。

今でも「過去」にこだわり歯を食い縛りながら恨むことは恨んでいる。

それを右隣りに置きながら左隣りには「いつ死んだっておかしくない歳にもなったんだから気楽にやっちゃおうぜ」

自分の毎日が「変化」するときは「気の持ちよう」なのだなとつくづく感じる。

簡単にそう言って片づけるには少々問題があるが、それに近い言葉も今は見つからないので自分の気持ち棚に収める。

小さなことからコツコツと気持ちの整理をするためになんでもやってきた甲斐があった。

小さな行動の積み重ねは本当に「自信」になり私自身も驚いている。

私は何度でも甦れる。

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