二極化する「いがみ合い」

自己中心的で自由な一言

「男女」の間には合い慣れぬこともある。

「男は」「女は」が今では当たり前の発言が表になって「思いやり」というより「いがみ合い」の方が目立ち火花を散らし良く燃えて毎日忙しい。

私は「女」なのでその「属性」から物事を見ることは当然だし「自然の摂理」だ。

スカートを履くことは嫌いだが選ぶ服はもっぱら「女性もの」で女性らしいラインが出るキレイ目のデザインは好きで色が落ち着いたものを好む。

心の中に「乙女」な部分もあるので「恋愛対象」は当たり前のように「男性」だが「女性」も可愛いと思う子は素直に思う。

ヘアスタイルは数々のことをしてきた。ロングにパーマ、ベリーショートにミドルショート。色も若い頃はさんざん入れて遊んだので今は自然に任せて白髪交じりのショートヘアだ。

「男らしく」「女らしく」という時代は私の中ではとうに終わっていたが、それを変えられない人間はまだまだ存在し、それを「強制」する連中には嫌悪感があり反発する。

「結婚」という枠はお互いの「絆」を深めるものだという認識はあるが「我慢」を重ねていくものではないし無理やり続けるものでもない。

私は日本の少子化は「やむ得ない」事象のひとつだと感じる部分もある。

そんなことを思いながら毎日の「極端な」ネット上のやり取りを見て感化される時もあり「中立」の意見が少なく「値打ち」のある建設的な文面が出ると束の間の安堵がでる。

こういったインターネット上のやり取りはすべてとは言わないが「不毛」であちこちで「心の死人」が出て、お互い仏花を投げ合う惨状であるが私も黙っていられない。

こうやって私も世の中も「愚か」になっていくのだなと感じた。

現実に見える人間模様は少なからず穏やかに見えるのに「男女」はいがみ合わなかればならないのが本音なのだろう。

客観視していても私は過去「男性」に暴力を振るわれた人間なので心からの信用は難しい。

守らなければいけないものがある。

私はもう屈したくはない。

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