例えば他人のズボンの前チャックが開いていたら自分も気になるのではないだろうか。
私は先に指摘するタイプなので嫌われる。それはプライドを傷つける行為だそうだ。
すでに全開のお前にはプライドもうんこもないだろうと思うのだが世間様は許さないらしい。笑える。
それは置いといて。
「人のふり見て我がふり直せ」だ。
これはこれでやはり自分に余裕がないと私には出来ない。いまは余裕があるらしい。
特にこれから行く道「年寄り・老人」という部類だ。どこから老人で年寄り論争はあるかもしれないが私の線引きは「一日中愚痴っぽくなった時」だろうと思う。
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私調べだが世の中の暇人は大体「老人」が多い。
何かにつけ文句言い、その文句を言う相手を探して徘徊する。
すでにぼけていらっしゃるので同じ話を延々と繰り返し、愚痴を言う相手を探すためだったらフットワークは軽い。
私はインターネット上の誹謗中傷の類は対面、真正面から文句の言えない人たちがすることであってまともに受けるつもりもない。ただ良いこと、前向きなこと褒められたら嬉しいだけだ。これは毎日の占いと同じで「悪いことが書かれていたら信じない」作戦だ。
老人が害なのは真向勝負してくる点だ。面と向かって物事を言ってくるから言葉も行動も心に刺さりやすいのだ。インターネットを使えない部族はこれが厄介だ。
対抗する手段は私自身の中にしかないのでぶつかるときは怒鳴りあう馬鹿にでもなる。戦いに勝つのではない自分の納得する行動にでるのだ。
「愚か者同士の鏡」が発動する。カードバトルより性質が悪い。
歳を取ることは嫌いではない。白髪になっていく自分も誇らしいし自分を取り戻せているような図太くなっていくような感覚はなかなか楽しいものがある。
ただ「老害」といわれる分類にはなりたくはない。
他人に優しく好かれたいわけではない。偏屈だろうが自分であることををもうやめたくないだけだ。
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サラリー時代に印象に残った人物はたくさんいる。その中の無用の長物をひとつさらしていこう。
エクセル・ワードができますと言ってきた事務希望の50代女性が会社の面接にきた。当時はすでに若年層はエクセル・ワードはもちろんパソコンはできて当たり前だった時代でもある。
物腰が柔らかくおとなしい感じの細身の女性だった。
これが務めだしたら癖のある人物だった。
まずエクセル・ワードは文字を打つ程度しかできない。表計算や送り状の書き方も知らないし雛形も大量に出ている時代なのに調べ方もわからない。
社会保険などの手続きをやらせれば相手先を怒らせるし、自転車にも乗れないから近場の買い物移動にも時間がかかる。
終いには社長が長期入院している間に自分の基本給を勝手に変更し、残業代もつけ給料増しをしており最後の最後はパワハラにあったといい暴力まで受けたと嘘の労基相談までしていた。
会社から訴えることもできたであろう。社長は管理できなかった自分の責任だと言い労基との相談の上和解という形でお金を支払った。
その女性の最後のうわさは内縁の夫に先立たれ、購入した駅前のマンションで一人寂しく暮らしていることだけだ。今となっては明らかに詐欺師夫婦だったことがわかる。
この鏡は自分にとっては再度「人を簡単に信じるな」ということと「私はこうはなりたくない」と強く思わせた。
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私がこうやってインターネット上にこうして記録を残していくのは自分に対しての警告でもある。
忘れないため、私にとって日記帳より効果的だからだ。
これから続く私の老人への道はできるだけ楽しく明るいものであるために、ここに記していこうと思う。
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