生きていれば様様な「学び」や「教え」に出会うことはある。
宗教の話ではない。
その人の「生き方」「考え方」に触れるとなるほどそうだったのかと思うことはある。
ただ残念なことに私は「言葉として書き記したもの」の多くがそれで、人との会話の中ではあまりない。
言えば「頭の回転が良くない」のがそうなのだのだが、会話は余計な言葉を拾うので頭の中でまとめなければならないからだ。
私は人様に教えることなど何もない。ただ生きていたらこうなってしまって、だらだらと毎日生きているようなものだ。
「苦しかったこと」の記憶だけが深く刻まれるのは何故なのか。
データのように「楽しかった」記憶で上書きされれば良いのだが、私の記憶フォルダは毎年新しいフォルダを作り、実にいやらしい保存の仕方をしている。
そのおかげで今はこうやって前向きに「人を恨んで生きること」をしている。
そして楽しい記憶になることだろう。きっと死ぬときは笑顔でいられるような、そんな気が今はしている。
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