私は何でもかんでも「出来る」人を知っているせいか、どうしても比べてしまって「あの人のように」となってしまう時があった。
どの場面においても「隙が無い人」なので会うたびに異次元の人間に合っているような感覚だった。
離れてみるとわかるのだが、その人にも「抜け」があったし「完璧」ではなかったと今ではわかる。
考え方や行動が「憧れる」存在だったので良い刺激になるが、近づきすぎて見えなくなっていたのだと思う。
私は「完成度の低い完璧主義者」といわれるのが嫌で抵抗してきたのだが、結局はそのままだし自分に良く似合っている言葉だと感じる。
決して卑下しているわけではない。今ではそれが気に入っているのだ。
私の完成度は50パーセントぐらいでちょうどよい。それ以上求めると自身が壊れてしまう。
何度も試行錯誤をしてきたわけではないし、長く生きていくうちに今はなんとかこの考えに至っただけだしこれからも変わるだろう。
「出来なくても良い」自分へ
注意され不貞腐れて口だけになるような人間になっていないだけ「まだまし」と思える。
歳を取ると物事が凝り固まって考え方の柔軟性がもっと足りなくなる。
もっともっと「自分」がそうであることを受け止め認めてあげたい。
当たり前のことがやっと出来るようになった私は、また間違っていても生きているうちに生まれ変われるやり直せると信じていける。
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