幼いころもテーマ作文も今でも「尊敬する人」と言われて思い当たる人物がいない。
「敬愛」を感じたことがない人生なことはないはずなのに、思い当たる人がいない。
「雲の上の人」とか「憧れの人」はいるが、それは「尊敬」ではない。
そして「尊敬」という言葉自体に「嫌味」や「ひがみ」が入って使うことが多く「他人を馬鹿にする単語」になってしまっている。
悲しい事態だ。
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「これから得る」ことは可能だろうが若いころとは違い熱に浮かされ「感情の勘違い」に陥ることもなく「真似したい人」「素晴らしい人」はこれからも出てくるだろうが「一心不乱にこの人に考えについていきたい」などと思うことは今はない。
たぶん「信頼がおける人」が一人もいないからだ。
様々な事情も重なり親兄弟も一線を置き普段は関わらないようにしている。今後も大事ない限り関わりたくもない。
ましてや「他人」など若いころの初期中の初期にさんざん騙されて暴力を振るわれ借金まで背負ってきたのだから、なおさらそれを実行する「価値」はない。
そんな人ばかりでないことも知ってはいるがそれを打ち破るほど、私は成熟しようと思わなくなってきたし別に「尊敬する人」がなくても困らないし自分を崇拝していれば良いと思うのだが、少し限界を感じているのだ。
なんて我儘なのだろう。
贅沢な考えだ。
私の隙間を埋めようとするようなその行為が哀れで浅ましく感じる。
抗っても身体のあちこちの不調が気力を落とさせ制限をかけているだけだと流れに今は任せようと感じる。
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