何らかの形が機能していない。
「人間関係」は「一緒にいて楽しい」と思える相手を選んでいけばよいはずなのに必要以上に複雑に考えてしまう。
昔はなぜ、あの頃はなぜ「相手の嫌いなところ」がいくつかあっても友人でいられたし無意識だった。
余計な言葉や経験が「今の私」の人間関係のこじれやすさに絡まっていることは認める。
整理できない心の中を抱えたまま人と接触すると「ゴミ屋敷」になりそうな勢いで招集が付かなくなってくる。
もっと単純で良いはずなのに歳をとればとるほど面倒な「しがらみ」ばかりが増えて人間関係を複雑にしてきた。
そうやって勝手に疲れて、勝手に苛立って、勝手に自分を苦しめている。

物事は難しく見始めると崩れていく。
何もかもではないが、足元からくるとさすがに私はこたえる。
自分自身が招いたことに墓穴を掘っているだけなのもある。
この不器用さを何とかしたいともがいたこともあるがそれは「私が無くなる」行動だ。
私が無くなるくらいだったら「一人のほうがいい」と選び取ったはずがいつの間にかそうでなくなりまた悩む。
毎度ながらこうやって「人間関係」に何かあるたびに同じことの繰り返しなのだから諦めろとも思うがなぜだろう。
私自身「人間らしく」あろうとするひとつのカタチなのだろうか。
とはいっても今はまた答えのでない輪の中に放り込んだだけで「そのうち」とか気楽に構えるうようにはなってきた。
ないがしろにしているわけではない。
「逃げ」の体制というより今は「時間」が惜しい。
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