見えない感じられないのが「正常」

ほとんど毎日

「良い状態を保つ」ことではなく「悪い状態を『異常』扱いしない」

昨日の「映画に感動できなかった話」で思い起こす。

「幸せ」とか「心のバランス」とか保つのが難しいし、常にそう思えるわけではない。

調子が良い時は「小さなこと」に意味を見いだせて、疲れている時は「世界は荒々しく見える」

その往復が「通常運転」なのだ。

無理やり探そうとすると何重にも疲れて消耗するのに、やろうやろうとしてしまう。

自分でブレーキかける場所がわからなくなっている。

納得していなくても進めなきゃいけない場面がある。

「構造そのもの」に問題があるのに声を上げても改善はされない。

そんなものに無駄な時間を使っては行けないと最近は「切り捨て」始めたが、私は人間だ。

「不合理」が心に押し寄せるとその「温度差」に身体も心もやられて風邪どころかインフルエンザになり何日も起き上がれない。

「疲れている=頑張っている」ではない。

自分を正当化しようとした結果なのだ。

まずは「何にも反応しなくてよい時間」を作ることが先決なような気がする。

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