復讐がだめなら呪えばいいじゃない。前に進むためにそうすることも必要だ。

長文

呪い推進派というわけではない。呪法も知らないし調べようとも思わない。せいぜい日本古来の方法、丑の刻参りの手法をぼんやり覚えているだけだ。

できれば直接報復したいところだが司法が許さないので思いとどまっているだけなのだ。

だがその引き金はいつでも引けるように安全装置が外されている状態なのがわかる。

それはいつだって自分の中にあり隣にいる。何がきっかけになるかわからない。

吐き気がするほど恐ろしい自分と私は仲よくしている。

小説や漫画の世界ならどんなに良いことだろうと思う。

だが今はそれが生きがいなのでそれでいい。

人を恨んだり呪ったりするのは私のとって「ガス抜き」のひとつだ。

溜めておいて良いものではない。お友達とおしゃべりなんかして抜くのも大事だがあいにくだが気の許せる友人など近くにいない。

悪口は言葉にして発すれば返ってくると言われるように、私自身だって本当は良いものだとは思ってはいない。

けれどストレス発散する術や共感は他人にしゃべることも必要だからわからなくもない。

言えないこと言いたくないことだって生きていれば増えてくる。それもわかる。

様々な理由があると思うが私は一気に方向転換し呪いの枠にもってくる。それが手っ取り早いからだ。

なぜなら恨んだ呪った相手が私が手を下さない限り、まず死ぬことはないことは知っている。だからするのだ。

私はどんな形の呪い返しがあるのならば受けようと思うし、そのためにいつでも安全装置は外してあるのだ。

他人にそれだけの負の心をもっていて疲れないかといえば嘘なる。

今でも許せないことがあるし、ずっと繰り返されてきたことがまた目の前でも起きている。

よけようと避けようとしても貰い事故のようにぶつかってくる。

それなら自分を頑丈にするしかない。それを跳ね返せるほど丈夫な自分を目指すしかない。

そうは言っても簡単にできることではないし、私も何とか今できているだけだ。

あの時これができていれば若さを無駄にすることはなかったと感じる。

そういっても仕方がないことだが、とりあえず今日も張り切って呪っていこうと思う。

                                                                                                                                                                      

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