お墓

自己中心的で自由な一言

私にとって「お墓」はお葬式と同じで「生きている人のためのもの」だと思っている。

一つの大きな区切りで決別するための儀式であり目に見える安心を得るためのものだと思っている。

宗教は他人に迷惑をかけなければ自由に信仰すればよいし、改宗するのも可能ならすればいい。

なぜ人は生きた証を残したがるのかわからないときがある。お墓を見ていると特に思う。

罰当たりだのご先祖様の供養だの何を言われても心に響かないことの方が多い。

そんなことに縛られている自分が嫌だし、生まれて生きているだけでとんでもない苦労と苦痛の酷い仕打ちに合っているのに、そんなもののせいにされて迷惑だし面倒だ。

形を欲しがるなら生きているうちが良い。自分が実感できるうちが良い。

死んでから絶賛されても私には届かないし、たとえ賞賛がなくても自分で褒めたたえればいいだけの話だ。

あの時死なずに良く生きてきた。

毎日死にたいと思っていても、そう思うことも自分にとっては素直に愛おしい瞬間だ。

私はお墓などいらない。

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