やはり私は当事者ではない

ほとんど毎日

よく「寄り添う」という言葉が聞こえてくる。

はっきり言って気持ちが悪い。私の気持ちの「おさまり」が悪いし自分自身の気持ちに寄り添っていない。

そういうことを隠していくのが大人だの人間だの言われてもクソくらえだ。

ただ私は「そういう人」は分けているだけだし、嫌いな人間などに寄り添う気持ちなの一ミリもない。

近頃何かがひっかっかるのは「寄り添う」という言葉が何かしら自分の心に引っかかり違和感があるからだ。

私は生身の自分の目で耳で見聞きしたものがまず「一番」信用できる情報だとしている。

そうしないと連日の事故や事件のニュースを客観的に見られないし性格上物事によっては感情移入してしまって怒りや悲しみのメーターが吹っ飛び暴力的な考えになる。

そして「ひねくれもの」なので心が荒んだ時などは、その悲しみの事故に関するコメントをなど見たときは「キレイごというな」と感じる。

目の前で犯罪や事故が起こった時は助けにも入らずスマホで動画や写真を撮る連中を生身でみたときのことを思い出す。これが人間の本性なのだとつくづく思う。

特に不安定な時はあちこちに気持ちが飛びすぎて気分が悪くなるので、出来れば世の中と関わりたくない。

だがそれを止めないのは私もそっち側の「キレイごと」を言う人間なのだ。

人間は無意識にキレイなモノだけみたい生物だとわかる。

私は私に寄り添って生きることだけで精一杯だ。

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