「不安と恐怖」との友好関係

ほとんど毎日

私は「不安と恐怖」はこれからずっと付きまとうものだから、むしろ「お友達」になれば良いと思っていた。

向き合うというか、受け止める。

そうすれば若い頃のように詐欺にもマルチにも人間にも騙されず、世の中の変動に惑わされず見えない何かにすがることはしないのではないか、と。

うん、ちょっと無理。

多勢大勢の「不安」というのは伝染する。

これが「集団ヒステリー」の初歩的な糸口のようなものかと実感したような気持ち。

いざとなれば「暴動」が起こりそうな時代に「不安」の「恐怖」はその一歩一歩確実に心を蝕んで隣にいる。

「そんなことはないだろう」と思っているのは「臭いものに蓋」をしてきた歴史が身に染みた「勘違い」だと私は感じる。

「不安と恐怖」との友好を私は見直している。

まあ、なる様にしかならないというのが一つの答えだが「安心」のために私は何個もの答えを探しているに過ぎない。

要は「言い訳」

頭の中から「不安と恐怖」は取り払われないが、そこに「ある」ものだと認知してまた生きていこうかなとだけ今は思う。

友好関係でなく「存在」として私は見つめ直していこう。また何かに変わるかもしれないが妙な方向にだけはいかないようにしておきたい。

楽な人生を願い求めるな。より強い人間になれるように願いなさい。ジョン・F・ケネディ

楽な人生ではなかったが、立ち止まっていてはまた「嫌いな私」になるだけ。

毎日の小さな行動の積み重ねが自信を生み強くしていることは解る。

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