自分らしい「強度」と「守備力」

ほとんど毎日

「相手を許すことが強さ」だの「守るものがあるから強い」だの「最後には人の為になることが一番」だの。

はて何を言っているのやら私には理屈は解るが理解できない。

私には「許さず恨み続けるチカラ」が必要だったし、今更「守るもの」はないから気楽に構えて「他人の死も自分の死も軽い」

その人の為に何かやったら要求が大きくなりその内うち「やってもらうことがあたりまえ」になり感謝の言葉もない。

私の我慢で「その場」が収まることしか見ていない感じていない、そんな記憶しかない。

そんなことが多くあった人生でなにか「そんな昔の事」を平気でいう馬鹿が多いこと多いこと。

こんなのだから人間関係は煩わしい。

好き勝手に他人の事情や生きてきた人生の中に土足どころが火に油を注ぐ準備までしてやってきて、放火してさらに火傷させて「私のせいじゃない」といって周囲を味方につけようとする。

そうやって自分の強度は「いびつ」になり平常な気持ちではいつもいられないほど「ゆがみ」生きてきた部分を私は受け止めている。

すべてを受け止めきれないからまだこんな風にまき散らしているのだ。

ああ悔しい。

もっと「私らしい強さ」を養いたい。いまだなんで他人に振り回されて生きていかねばならないのか。

潰れてたまるか。

いつでも「私基準」で生きてやる。

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