抱えていくもののすべてに対して(仮)

ほとんど毎日

おかしな場所に「私の切り替えスイッチ」が設置してあることに苛立つ。

気にしないところは気にしない。気にするところは気にしてる。

興味のない者にはとことん興味はないはずが、要らないところに引っかかる。

前からひとつ答えが出ていることは「関わる人間が多ければ多いほど面倒事は増える」ということで、今はどこもかしもこ「対応に困る」ことだらけで苛立ちが絶えない。

「経験していない」ということではなく、人間が形成されていないことに腹立たしさを感じることが多い。

これはきっと昭和にまみれた考え方のひとつかもしれないと感じる。

私もこんな生き様だったのかと思えば随分年上の人たちに許されてきたのだなと思う。

今度は私が許す立場なのか。

おおらかな自分はどこにもいない。おおらかに余裕があるふりをしているだけ。

「虚勢」を張るのは大好きだ。

それを続けていくには限界か覚悟かを選び前に進める。

だがもっと何かを抱えて生きて自分なりの答えを見つけていくのが良いのではないかと昨日感じた。

いつもでもモヤモヤした気持ちを抱えても良いはずなんだ。

それがダメだと思っていないと始めたことがあるのに、またすべてを「否定」から入る私が居る。

余計なことを考えて抱えても笑っていける私がいるから、今は大丈夫だ。

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