他人を信じないくせに世の中の情報に左右される時がある。
まだまだ私も馬鹿素直なところがあるなと思うのは勝手だが、暴走し始めると偏屈になるから落ち着きたいところだ。
みんながそう言ってるから、そうだろう。
「落ちない汚れ」のようにまだこの考えにが身に染みてしまった部分があり、私の多くの部分が俯瞰的に物事を見ることを忘れてしまう。
情報の多くを疑ってから多角的に見つめることは大切だとは思っているが、感情に直結しやすい情報にはいつもこぶしを上げてしまう。
その怒りはいつだって私を悲しみに落とす。
![](https://tentenbou.com/wp-content/uploads/2024/01/sad-674811_640.jpg)
何度も何度も「この世の悪口」に絶望してきただろうか。
何十年もうちに秘めすぎて判断がおかしくなっていた。
いまでもその傾向があるから悔しくてたまらない。
私自身誰からの信頼もないものだから伝える言葉など「うわっつら」の薄っぺらいものにしかならない。
これを変えていくには困難であるが、ひとつひとつ積み重ねていかなばと思う。
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