「圧倒的」な力の差

ほとんど毎日

私には「自力」が足りない。

いわゆる「底力」みたいなものだ。

それは何によって養われるか。

最近やっと気がついたのだが「反復作業」がその一つである。

私は雑で「おざなり」なのである。

「テキトー」というのがふさわしいのか「いい加減」なことは確かで「ある程度」の仕上がりで満足しているのは間違いない。

そのくせ「人として」大事なところは緩く抜け落ちていたのがあったので過去の汚点は数限りなく、多い。

人生に不必要なこと余計なことの「反復作業」ばかりはやってきて私自身に「有益」になるものは身になるものは何一つおこなっていないに近い。

こんな人間がよく「生きれていた」もので、それはお陰様で何度も衝突を繰り返してきた姉妹のおかげでもある。

私も姉妹も今は「運よく」まだ存命しているだけで、いつまでも生きているわけではないし積年のわだかまりと親の事情で現在は連絡を絶っている人もいる。

それはさておき。

現在の「私の状況」は保身に走ればとても危ういもので何かあったときに頼れる人間はそばにはいない。

そのとき「自分で出来ることはなにか」圧倒的にほぼ何もない。

むしろ「考えていない」

「自助力」が欠如した人間は歳を取ってから訳の分からない恐怖が身に迫っていることに気が付く。

今更どうにもなるもんでもない。

そうすぐさまささやいたのは私の中の私。

今の私が明日の私をつくる。

そう真っ正面から言ってきたのは私の中の私。

「気持ち」だけは先走りいつだって能天気な部分があった。

これが「自力」ならばもっと大きく埋め尽くしてもよいのではないかと、いまは感じる。

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