かつての世間の声が私の中にまだとどまっている。
「私は私」と心底いえることはそんなに簡単なことではないのだな。
一人でラーメン屋に入る居心地の悪さを飲み込んできた時代を経て、長年押し込めた感情の固く結んだ部分がほどけない。
時代は変わったというのに私はまだ「世間」の言葉にじんわりと縛られている部分がある。
「今は一人が普通です」と言われても「過去の自分」が納得していない。
昔の空気の残響でまだ脳みそが従おうとする「ズレ」を感じる。

もう誰かの基準で生きなくても良いはずなのに「自分を殺してしまった時代」がある限りこれはこびりついたままなんだ。
私はどう在りたいか。
また何度も自分に問いただす。
一人を肯定する理屈でも、誰かとを否定する理屈でもなく何度も何度も私に聞いていくしかない。
小さく小さく変えていくしかない。
「もどかしさ」に怒れば外に向けて発奮できるかもしれないが、そんな感情ではないように思う。
傷ついても怖くても、どれだけ自分を裏切らなかったか。
誰かの声でなく、「私の声」で選んだか。
死ぬ間際に「私の人生は正解だった」と一瞬だと思いたいのなら、まだ自分で見つけに行きたいとと思う。
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