結婚しようが生涯独身だろうが死ぬときは例外を除いてみな一人だ。
というわけで私もお年頃なので数年前からエンディングノートを書き出し備えるようにしているのだが、まあお金はないし貯まらない。
本気で考えてないのだ。
もともとの考え方の基本構造がなっていない。文法の面白さに気が付いてないので主語、述語もわからないアホウは「誰が、何を、どうする」ということ自体の並べ方さえも謎のままなのだ。
いずれにしてもこのままではいけないと思い行動はしているのだが、頭が悪いのでほとんどが空回りである。
だがこれだけは言える。
足腰と身体は確実に衰え、普段から鍛えている人だとて体は思うように動かなくなる時が来る。
いま動けるうちにやっておかねばならないのだ。
移住してから2年間。脳足りんの私はなぜか行動力だけは馬鹿上がりになり、今の結果はどうであれこのまま進める気がしてるのでこのまま老い支度を勢いも含め継続しようと感じる。
まずは自身の老い支度を始める前に、この時点で両親が健在だということだ。毒でもないのだろうが関わりたくもないのでほぼ連絡は取っていない。
父は一人生まれ故郷に居て、母は一番下の実妹と孫と関東で暮らしている。
母はともかく父は後々面倒なことが目に見えてわかることをが多々ある。
その最大の問題がお金がいないことだ。その上借金があることが予想できている。
反論や異論はあるだろう。だが近年、同居しようと実兄が本気で動いて父を説得してこの結果なのだ。
私たちもすぐに体が動く力がいつまでもあるわけではない。言い訳になるだろうが何かあっても不況なので簡単には動けない。
その他もろもろあるのだがキリがないのであげないが、そこから私のなかではわだかまりが生まれ過去の我慢してきたものが爆発し怒りとなり連絡をほぼ絶った。
父も私たちも歳をとると頑固になり簡単に動かなくなるのだ。
時間は確実に進んでいる。命は有限だ。いつかは確実に終わる。
いつどんなことがあっていいようにお金を貯めておくことができなかった私は、いまやるしかないのだ。
先日、壁に模造紙を貼りやることを大きく書き出した。
普段は携帯のメモ帳にこまごま書いているのだが、実際に表にしてみると私のようなおつむが弱い人間はやるべきことがはっきり見えてくる。
思い込みだが私にとって「老い支度」はなぜか良い方向に行くような予感がする活動だ。
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