「前向きな自分」も「後ろ向きの自分」も「すべて自分」
世の中には「ポジティブ教」が時々目につきますがそれも一つの生き方なので私は否定はしません。
そうやって生きようとするのも本人がとても「努力」をいしていることを知っているからです。
私も一時はその思考に埋もれて「そうでなくてはだめだ」と思っていました。
だがそれは私にはかなり窮屈で無理をしていたのが今ではわかります。
それを「自分に強要」するのでなく「自然と出来る自分」へと思っています。
だから他人と比較して落ち込むことは悪いことだとは思っていません。
例えば後ろ向きな行為としてのひとつ他人の悪口を言うやつには近ずくなとは思っていますし言ってはいけないとも感じてはいますが、私は出来た人間でもないし煩悩まみれてなんぼだとも思っているので相手の許可をもらえば「愚痴」として聞いてもらうことにしています。
日ごろの毒素や膿は出さなければ直りません。消化できなければ吐き出すしかないと思っています。
「自分教」はより良い自分を目指すため、自分を上手に甘やかして律する教えです。
「比べて不幸」に思っていて「妬み不幸」になる自分も自分だということさえ忘れなければ「すべて良し」です。
「自己責任教」にも類似していますが、それだけでは自分を追いつめるので「自分教」にしています。
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