まだ当人は死んではいないが言葉に拙いことお詫びします。
「父」は多趣味な人だった。
水彩画を描きバイオリンを弾きラジコン飛行機を一から作る。 それは別に良い。好き勝手しているのはいつもの事だったし子供の私たちに関心は無かった。
私が中学生になると父は何故か教育熱心な親になろうとした。
思春期も中二病もこじらせた私は本当にそれが嫌だった。
まず一番に苦痛だったのが「教科書に広告やお菓子の包装紙でカバーを作らせた」こと、それから仕事から帰ってきたときから一時間一緒に勉強かバイオリンの指導。
本当に馬鹿ではないかと思った。
小学生の時からやっているならともかく、中学に上がり多感な時にそれをやろうとし「父」の思惑は私がいつも寝たふりで避け、そのうち諦めた。
そこから「父」との記憶など曖昧だ。
間違いなく「自分の言うことを聞かない子供たち」に諦めて何も行わなくなっていった。
今思っても、なぜ「父」があの時そういう行動したのか理解できないし、したくもない。
その後もその片鱗は今の今でも押しつけがましい思いを突き付ける。
死ぬまでそうやってろ。
まったく関係ないが妙な宗教染みたものにハマって部屋を片付けられない「母」からは「中学に上がったら制服洋服以外の下着や靴下は自分で洗濯しなさい」と教わってきたから嫌々ながらもやってきたが、その辺は一人暮らしには役だったので感謝している。
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