「大学に行かせたかった。お前は何の相談もなく勝手に就職した」
その言葉を私が中年の時に「父」から吐かれたときは増悪が一気に増し殴ってやろうかと思った。
私は高校卒業と同時に関東に寮がある会社に就職を決めていた。
当時は「漫画家になる」という夢があり今のようにインターネットやパソコンが身近にあるわけではないので東京に行って勝負をするための前段階に過ぎない。
私は私の「夢」を追うためと陰気で前時代的な村社会から脱出するための「就職」だった。
「美術大学に行かせたかった」
私が高校の時、父の事業が災害で傾き当時はどうしようもない状態になった。
そしてその後しばらくしてから私は学校に内緒でアルバイトをはじめ自身の授業料を出し始めた。そして当時ははっきりとした身分証明書も欲しかったし持っていたら便利だろうと思い「運転免許」を取得するための費用は全部自分で出していた。
交通費は「父」がギリギリだしていたぐらいだ。
会社のことに優先してお金を使っているのは仕方がないとしても、市役所なり自治体になり何かしら働きかけるのが筋だと今ではわかるが「父」はそれをしなかったように見える。
関東に引っ越しする際にも母の虎の子で費用を出してもらった。
高校生活の半分以上は私の働いたお金で自分のことは賄っていた。
(お前「お金」無かったよな。大学は無料でいける学校じゃねえんだぞ。しかも美大なんて一番金がかかる大学だよな)
このことに関して「父」の記憶がすっぽ抜けているにもほどがあり「怒り」となった。
今でも「父」の葬式の時には唾を吐いてやろうかという「憎しみ」しかない。
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