天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずとは結局自分次第ってこと

長文

人間は生まれながら平等ではないと私は感じている。

定義は人それぞれだがありふれた言葉でいうと、金持ちと貧乏の家で生まれたら全くちがう。

産着もおむつも使えるものが違う。その前の出産でもお金に余裕がある家庭は個室のある良い病院に入れる可能性は高いし、貧乏なら出産費用のことでもめて最初から険悪な空気の中で生まれる場合もある。

その今後はさておき、意志の弱い私は他人の意見に左右された生き方もしてきてるし行動できない他人を馬鹿にしたりしてきた。

私だって聖人君子・イエスキリストの生まれ変わりといわれるあのハリウッドスターみたいに本当の強さを持つ伝説を作って生きてみたかった。

誰にでもあんなことができるわけではないと言い訳をする。そして心の奥底の暴力的な自分は隠す必要もないとも思っている。

大した人間でもないのに人を見下す癖がついている。

自分は他人とは違う。特別でやればできる人間だとうぬぼれた自分自身はいつでもあった。そうしなければ生きていけなったときもあった。

今でもそうだ。うぬぼれは相変わらず私の中にいる。

過去に謙虚に生きようと心を平穏に保とうと超自然的な生き方をまねようとしたことがある。

きっとなにかが導いてくれると幸せになれると思ったからだ。

品がない生き方をしてきた私には欲が勝ちすぎて長くは続かなかった。

世の中不平等だって身をもって体験しているのにそんなことでできるか、どあほうとなる。

学校に行けば先輩後輩がいる。会社に属せば上司部下もいる。自営しても客に頭を下げなければならないときがある。

偉いと思っていた自分が地に落ちるときもある。

世の中は上下で成り立っているのに、そんなことを持ち出されて説かれても全く心に響かない。

それをできる人はやればよいのだ。それを強制されるのは嫌なだけだ。

自分自身本当は立っているだけでやっとなのに、そんな付属品をつけられても足かせになるだけだ。

私はこれからもきっと見下し見上げる。天は上下を作らなくても私は作る。

他人と比べることが不幸になるのならとっくに不幸だ。不幸さえも楽しんでいきたいと思える私はなかなかいい感じに仕上がってきたのだろう。

今は自画自賛でもしておこうと思う。

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