視野と責任の所在

ほとんど毎日

「視野を広く持つ」ということは「細かいところは、ぼやけるから気にするな。だからそういう小さいことに関わっていないで前に進め」ということではないか。

初詣に行く途中でそんなことを思いながら歩いていた。

細部を切りすてること。

小さなことを無視すること。

全体の一部だから無視しろと言っているのか。

だが初詣の帰り道にはまた「その先」の答えが出る。

傷ついたり、余計な一言が引っ掛かったり、腹が立ったりすることは「近すぎて大きく見える」

小さなことに飲み込まれないような「位置」に立つ。

全体の配置がわかるような「場所」に立つ。

そういうことではないだろうかと辿り着く。

たぶん「この先」も頭の隅に置いておきながら、また別の答えが出るのだろう。

こういう「気づき」とうのは後から効いてくる。

「少し形になった」という感覚は大事にしていきたい。

途中経過の思考はまとまってなくてよいし「結論」を出さなくてよい。

多分、行動のほとんどに「答え」や「正解」などはないが自分自身の納得する形に納めると言ことなのだろう。

自分が自分に対して責任を引き受ける。

これでは重すぎて足が止まってしまうような気もするが、その時に自分が逃げずに考えて選んだことだけは残る。

「完璧な正解」は存在しないが、それでも選ばなければ前に進めない。

言葉が揺れている今の状態でも前に進んでいることが感じられる。

今は、これで良い。

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