鈍い

ほとんど毎日

この国は「空気信仰」が深く相手の気持ちをくんだり、その場の雰囲気を読むということが強制されがちだ。

極端に言うと相手の心を読む超能力者になれということだが、そんな人に出会ったら気持ち悪くて近づけない。

なぜそのあいまいさを求めるのか。

欲しがっている割には与えない人間の方が多いのに訳の分からないものを求める。

時代は流れても根本的に変わらないものの一つだと私はおもう。

その変わらない流れを大きく変えようとまでは思わないが、そういうことが出来ない人間を頭ごなしにダメ扱いするしている考えはそれで良いのだろうか。

人間の生き方に正解があるわけでもなのに固定概念だけは十人前以上お代わりを求める。

それは相手が鈍いのではなく自分がそういう鈍さを持っていると気が付いた方が、この世はもっと面白くその流れを渡れるような気がしてならない。

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