自分が見てきたものが「社会」

ほとんど毎日

比べるものは他人だったり過去の自分だったり。

喜んだり怒ったり悲しんだり楽しんだり。

行き着く先は「自分が経験してきたもの」が私の社会だ。

それぞれ境遇が違い行うことの一つ一つが同じなようで似通っているだけで違う。

私は「貧乏より」の生まれた家庭だったし多感な時期は好きなことはさせてもらえなかった。就学の半分は授業料も払えなくてアルバイトをし運転免許も自分の稼いだお金で取得した。

それが私の「社会」に触れた始まりだったように感じる。

もっとも細かいことを言えば幼稚園や学校の「集団生活」を経験してからかもしれないが、やはりその時は視野が狭くても「社会」とはこんなものだと感じていたと思う。

今でも「広い目」で見ることは要されるが、結局は「自分が経験してきたこと」が社会で世の中なのだ。

今が楽しいし年齢も年齢なので記憶は薄れてきているが、なにかのきっかけで思い起こされて私の心は簡単に揺れるのだ。

そしていつも感じるのは「社会」とはとても面倒くさい。

今はだいぶ見直されてきているが表向きはそうなだけで根強く残る習慣は私をダメにする。

そしてどんどん声を上げ考えて行動しようと思わせてくれる。だが感謝する気はまだ起こらないのでイラついているのだ。

このイラつきは死ぬまで続くのだから、相棒にし茶飲み友達へと変化させることに心掛けたい。

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