私は「運よく」大病もしてこなかったし大きな事故に巻き込まれることはなかった。
初老になり自分の健康も自分で守ることも少しづつ定着してきた。
食事に関しては「今、食べたいものを食べる」「食べたくなっても食べられなくなる時が来る」という「決め事」を作ってはあるが、量も好みも変わってきている。
ご飯がまともに食べれない時期が何度かあったので食事には執着していることもあるが、なんら問題なく過ごしている。
でもそれは今の仕事がそれなりに安定し食べることに困っていないから。
趣味にも時間とお金が欠けられているから「心のバランス」も何とか保っているから。
やはりいつだって「落とし穴」は私の人生と並行してあるものだから「生命が維持」できているだけなのだと気が付く。
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「やる気」は無くても「生命を維持」する活動だけは何故こんなに当たり前のように身に付いているのだろう。
そんなに死にたくなかったのか。
今、自分の命を終わらすことは正直嫌だ。毎日心のどこかで「死にたい」と思っていても「今」は嫌だ。
なぜなら私は「失われてしまった時間」を取り戻したいという最大の欲求で生きているからだ。
その欲求に素直に従っているからだ。
私は私の時間を大切に生きたい。
現実との兼ね合いも相応に上手くいっているのだから、私はもっと「自分の命の時間」を上手に使いたい。
いままでこんなことを感じてこなかったから本当に命の使い方が下手クソである。
もったいない。
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