綺麗ごとの戯れ

ほとんど毎日

物価高でもインスタントコーヒーが飲める。

月一ぐらいはスーパー銭湯に行ける。

まだ身体が動くからどこへでも行ける。

「まだあるもの」にしがみつこうとする理性は事実で「安心の材料」だ。

けれど心は満足しているか。

「あること」は感じにくくなり「失うかもしれないこと」に気持ちが持っていかれるのは人として当たり前。

過去のようにこれからもまた「人生は良い時も悪い時もある」なんて思えないし、いままだ身体が動くだけで「一寸先は闇」

場所や環境が変われば楽になることもあるが、別の形で不安が残る。

無理に「前向き」を信じようとする違和感がずっとある。

「幸せ」や「幸福」を定義しようとしてまた「底なし沼」にハマろうとしている。

外の世界の刺激も圧力が強すぎて、怒りも不安も比較も一気に流れ込んでくる。

外側に起こる凶事にばかり気を取られ、今日も私を何度か見失いかける。

とりあえず「今日」を自然にやり過ごせは良いだけなのに、日常の些細なことで足を止めていることに目が行かない。

私の「悲しみ」は放置され気がついたら空洞になるのを何度経験しても繰り返す。

自分自身の安全確認ができていない。

自己防衛すらままならない。

最近は決断も判断も遅れている。

「葛藤」なん聞こえは良いが、ただ消耗する時間に身を寄せて悶絶しているだけの私はただの「まぬけ」だ。

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