この年齢になると、それなりにわかる。
「厄年」というのは、その年齢の前後は大体「節目」に当たるから心して気を引き締めその年を過ごすようにということだ。
確かに「厄年」には大きな受難がありすぎて自分自身を失った。
それに縛られた人生だったことは間違いなく、それを「厄年」だからといって片づける気にならない。
「厄」を背負って生きていくのは、あまりにも大きな代償で人間としての尊厳が無くなり私は「獣」になった。
何度も自分の「油断」を責めたが道を外れて自暴自棄になり何もかもどうでもよくなった。
転げ落ちる。
何とか這い上がろうともがいたが結局は泥沼底なし沼。もがけばもがくほど足元は救われ落ちていく。
あの感覚は今でも忘れられない。
人によっては何の負荷もなく超えられるような「厄」はあるだろうが払うことの出来ない「厄」は「死」が直結した。
今もその「厄」に囚われる瞬間もあり払われているわけではないが、ずいぶんと穏やかにはなった。
この先に「不安」はあるかもしれないが自身の行動に「不満」はもっと無くなっていくだろう。
なんとか勝ち取ったという気分が近い。
勝ち負けにこだわってしまうかもしれないが、私は私の人生の「勝者」でいたい。
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