せばまる視野と選択肢

ほとんど毎日

「せばめている」のは私自身の感覚もそうだが年齢と共に沢山あるものの中から「これ一品」というのを探すのが面倒になってきている。

今日は遠出の帰り道で入ったことのないスーパーと衣料品店に寄ったのだが、土地柄のせいか広くて大きい。

ショッピングモールなんかは行くところが決まっているので迷わないが、巨大スーパーは見るところが多すぎて疲れた。

若いころは複合施設のほうが「広くて複雑で面倒くさいな」と思っていたが今は逆でアホみたいに広い一面をうろうろするのは億劫だった。

あれだけ沢山ある中から「面白そうなもの」「美味しそうなもの」探すのが好きだったのに。

「わくわく」が小さく少なくなっている。

なぜ勉強するのかという問いに「選択肢を増やすため」という答えがある。

私は多少なりとも「学歴コンプレックス」はあり「大卒」という肩書には差を感じて生きてきた。

かといって大検を受けるわけでも資格を取りまくるわけでもなくズルズルとほぼ何もチャレンジせずで今慌てて取り返そうとしていると言っても良い。

「好奇心旺盛」であちこちに目がいっていた若いころと違って、今は淡々と「続けている」ことに重心を置く。

これで良いのかと私は時々、迷う。

先人たちが培った「成功」に通じる道を外れているのは自覚しているのだ。

ただ「楽しい」だけでゆるく続けてきたことに少なくても私には階段を上っている感覚がある。

真正面に向き合っていないのではないかと、目を反らして「わが道」を行き過ぎではないかという引っ掛かりがでてきた。

ならもう一度「更地」にしなくても振り返って見つめなおしたら良いのではないかと後ろを向く。

でこぼこな「私の道」はよく見えているのだから、とりあえず「あるもの」で補修していこうと思う。

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