私はいちいち「他人の言葉」でイライラしている。
うちはうち。よそはよそ。
私は私。他人は他人。
その思考でいたいはずなのに、いちいち「他人の言葉」で腹を立てている。
その先には「人格否定された」「自分が軽々しく見られた」は確実にあり「承認欲求」が違う形で現れただけのこと。
もともと余計なところに「感受性」が強い。
感動したら町中や人ごみでも泣いたりするから、ちょっと恥ずかしい。
「共感性」はあまりないから勘違いされやすいとは今はわかるが苦労はした。
「受ける」ことは得意だが「つながる」ことは苦手だ。

私自身は「直情的」であることは否定していない。
「自分を守る防衛本能」であるし「行動の原動力」のひとつにはなっている。
だがいちいち他人の言葉でイライラしているのだから「私に支障がある」のだ。
私の感情とは面倒で複雑、自分自身も取り扱いが出来ていない。
この反応がなければ少しは生きやすいだろうか。
今はそうでもない。
これがあるから私は物事に疑問を持ち続け「私」を見失わないように探し求め続けられているからだ。
死人のように生きてきた期間が長すぎて感情を「中和」出来る能力が不足しているだけ。
これから探せばいい。
こうやって「自分の味方は自分」というスイッチを探すのが出来るようになったのは「感情表現が偏らず豊か」になった証なんだと感じる。
守るべきなのは私。
それさえ取り違えなければ、顔をゆがめてイライラしたって良いのだ。
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