「奇跡と勇気」は行動の先のパンドラ

ほとんど毎日

「夢」に対して思うことがある。

「捨てる勇気」と「捨てなかった勇気」どちらが偉いかなんてない。この年齢になってから身に染みてわかる。

「捨てた」先には足枷が外れた開放感があった。

「捨てなかった」分、泣きながらでも足を踏ん張った。

今はどうだ。

どちらも知った自分は歳は取ったが「好きなこと」に対して大きく見れる視野が広がったのではないだろうか。

若い頃に積み重ねた知識と感情、技術というのにはおこがましいが身体が覚えたものはすべてとは言わないが覚えている。

現代においてどのように発揮すれば良いかわからないが、チャンスはボタン一つで広がっている。

結局、捨てきれなった思いを二年間自分らしく進めてきた。進展らしい進展は無かったがチャレンジは自分なりに沢山できたし得られることも実感できた。

あの時には無い感覚。

行動の先の「落胆」も味わったが自身の手で救いあげられた。

禍を転じて福と為す

手に入れたものは脆くこの先の自分をどう変えるかどう支えるかなんて今は分からない。

この先にどんな「災い」が待っていてもすべてではないだろうが受けきれるような気がする。取り落しても問題ない。

青臭い思いと共に、前に進む。

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