等身大の共存のバトン

ほとんど毎日

もうすぐ給料日。

カレンダーを見てそんな思いが浮かんでくるともう色々な意味で惰性で生きていた「あの頃」と同じで末期に近づいてきているように感じる。

「給料日」なんか関係なく「楽しさ」が優先できて力任せに突っ走れていた「若い時」とは違う。

身体のあちこちは思うようにも動かなくなってきてるのも実感し、物忘れなんだか痴呆なんだか一人で暮らしていると判断できない。

道具や名前が思いだせないだけで「私」が無くなっていくような気もする。

立ち止まりながらも進める道を探して発見してきているというのに、ふとまた見えにくかった隙間に落ちる。

だが「あの頃」のような自分の存在が揺らぐような不安感はない。

私は自分の足で立っている。顔を上げて前を見ている。

それを自分に落とし込むまでは時間はかかったが「今」は大丈夫な気がする。

この先はわからないが、これが続くように私自身が努力していかなければならないことぐらいは学んできた。

「あの頃の自分」と共存し歩み続けることも少しづつできている。

「あの頃の自分」は恥でも情けなくもないと知ってくる。

日々つまらない感情に左右されているのは揺り起こして目覚めさせるためなんだ。

そんなことを思いながら昨日までの自分の感情をつなぎ合わせる。

不安や迷いはなくならない。

考えるのを諦めなければ私なりの答えが出て次につながる。

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